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人名用漢字の制限の合理性

人名漢字で「矜持」使えず、小学教諭が国家賠償提訴(Yahoo!ニュース)

「国が人名に使える漢字を制限しているのは表現の自由を保障した憲法に違反するとして、10万円の国家賠償を求める訴え」に関するニュース。

いずれこういうことになるのではないかと思っていました。「法務省によると、人名を巡って国家賠償を求めるのは異例。」らしいけれど。人名というのは(少なくとも多くの人にとっては)一生のものであるだけに、争ってみてもよればよいのではないでしょうか。こういうニュースって判決が出た頃には忘れてしまっていることが多いのですが、なるべく覚えておこうと思います・・・。

ただ(たぶん記事にした人の書き方が悪いのだろうけれど、)記事の最後の「『矜』の字は画数も少なく、パソコンの変換でもすぐに出る。追加された漢字の中には、パソコンで出ない字もあり、人名用漢字の制限は合理的ではない」と主張している。」という部分は少しおかしい気がします。

たしかに人名用漢字の制限は合理的ではない、という考え方はありうるとは思うのですが。ただ、その考え方と上のコメントは若干ねじれた関係にありますよね。ここで問題となっているのは(1)人名用漢字を制限すること自体が合理的かという問題と(2)制限することを前提とした、実際の漢字の選定の合理性の問題の二つがあるのだけれど、その二つを混同してしまっているふしがある。

上のコメントは(1)の問題、つまり制限すること自体に合理性がないということをいいたいのに、字数の多さ・パソコンで変換できるかという点をあげている。これは実際に制限する漢字の選定に関する問題で、(2)のハナシ。これだと、パソコンで出る漢字はOKという合理的な基準(パソコンで変換できるかどうかの基準がが合理的かどうか自体かなり疑問ではあるけれど)によれば人名用漢字の制限は合理的になってしまいかねない。

まあ、「ほら、線引きが合理的ではない」→「実際、合理的な線引きなんてできっこない」→「そもそも、線引きをしようとする方がおかしい」とつながるのかもしれないけれど、それにしては省略しすぎなコメントではないなかなぁ?


細かいことかもしれないけれど、最近こういう感じの文章が多い気がします。何も考えないで読んでいると一応文章にはなっているのだけれど、考えてみるとへんにひっかかってくる文章。

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2004年09月29日 02:05に投稿されたエントリのページです。

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