Lawrence Lessig, Free Culture (原文http://www.free-culture.cc/)

"Piracy"



翻訳:*nisshi.jp(http://www.nisshi.jp/)
訳についても原文と同様のライセンスに従う。
詳細はhttp://www.nisshi.jp/txt/lessig/


第一章:クリエイターたち

 1928年、あるアニメのキャラクターが生まれた。ミッキーマウスの前身がこの年の5月にデビューしたのである。それは「プレーン・クレイジー」と名付けられたサイレント映画の中でのことであったが、これは失敗作に終わった。しかし、11月、ニューヨークのコロニー・シアターで、広く配給される音声付きのアニメーションとしては初のものである「スチームボート・ウィリー」がのちにミッキーマウスとして知られることになるキャラクターを世に送り出したのである。

 音声付きの映画自体はそのちょうど一年前、「ジャズ・シンガー」という映画で登場していた。この成功が、その技術をまねしてアニメにも音を付けることをウォルト・ディズニーに思い至らせたのである。ただそれが成功するかどうかについては、まだ誰も分からなかった。また成功したとしても、お客さんが入ってくれるかどうか。しかし、ディズニーが1928年の夏に試してみたところ、結果は明らかなものだった。ディズニーはそのときのことを次のように書いている:
 私の二人の息子は楽譜が読めて、しかも片方はハーモニカを演奏できた。そこで二人をスクリーンが見えない部屋に入れて、そこから妻や友人たちが映画を観る部屋に音が伝わるようにした。
 息子たちは音楽と効果音のスコアだけを見て、演奏をした。何回か出だしに失敗したあと、ちゃんと音と映像が合うようになった。ハーモニカ担当は音楽を演奏して、残りの私たちは拍に合わせて鍋をたたいたり、笛を吹いたりした。音と映像の同期は、結構うまくいっていた。
 「お客さん」たちは、もうほんとうに大喝采という感じだった。この音と映像の融合に、ほとんど無意識に反応していた。最初は、からかわれているのかと思った。だから、私も観客の方の部屋に行くことになって、もう一回上映が始まった。ものすごく下手だったんだけど、素晴らしかった!それに、本当に全く新しいものだった!
  当時のディズニーのパートナーで、アニメーションのたぐい稀な才能の持ち主であったウブ・イワークスは、この時のことを、もっと力説している:「生きていてあんなに興奮したことはないよ。その後のどんな経験もあの時の感動にはかなわなかった。」

 ディズニーは大変新しいものを、比較的新しいものを元に創り上げたのだった。音と映像の同期の技術も――ディズニーの手にかかるまでは――他の映画までの時間潰し程度の創作物しか生み出してこなかった。アニメーションの初期の歴史を通して、他の人たちが到達しようと奮闘したのは、ディズニーのこの水準だった。その一方、ディズニーの天才的で創造性に満ちたひらめきも、しばしば他者の創作物の上に成り立っているものだった。

 こうしたことはよく知られている。でも1928年がもうひとつの意味で重要な節目であることは、知らないかも知れない。この年に、コミック界(アニメ界、ではなく)の天才が独自サイレント映画の最新作を作った。その天才はバスター・キートンという人であり、映画のタイトルは「スチームボート・ビル Jr.」だった。

 キートンは、1895年に寄席芸人一家に生まれた。サイレント映画の時代に、キートンは体を張ったコメディーで観客を大笑いさせていた。「スチームボート・ビル Jr.」はこうした形のコメディーの典型で、信じられないスタントをやることで映画マニアの間では有名だった。この映画は、キートン映画の典型――ものすごく人気があって、このジャンルでは最高のもの――だった。

 「スチームボート・ビル Jr.」が登場したのは、ディズニーのアニメ、「スチームボート・ウィリー」が登場する前である。そして、両者のタイトルが似ているのは、偶然のことではない。「スチームボート・ウィリー」は「スチームボート・ビル Jr.」を直接パロディーにしたアニメで、同じ歌を元にしている。「スチームボート・ウィリー」が生まれたのは、「ジャズ・シンガー」での音と映像の同期の発明だけによるものではない。「スチームボート・ウィリー」が生まれたこと、そしてそこからミッキーマウスが生まれたことは、バスター・キートンが「スチームボート・ビル Jr.」を創り出したことにもよるのであり、そしてその「スチームボート・ビル Jr.」自体、「スチームボート・ビル」という歌を元にしていたのだった。

 こうして他人の創作物から「借りてくる」ことはディズニーにとっても、そして当時の業界全体にとっても別に珍しいことではなかった。ディズニーはいつも、当時流行していた本格派映画のパロディーをやっていた。初期のアニメは模造品に満ちている。ヒットしたテーマをちょっと変えてみたり、昔からある物語を改作したりしていた。成功への鍵は、どうやって差をつけるかだった。ディズニーに関して言えば、当初、彼のアニメを他から際立たせたのが音だった。そしてのちには、彼の競争相手であった大量生産型のアニメよりはクオリティが高かったことが彼の作品を際立たせることになる。しかし、こうした付加物は、もともと借りてきた土台の上に創られたものである。ディズニーは彼以前の人たちの創作物に付け足し、ちょっぴり古いものから新しいものを創り出していたのである。

 その際、少しだけ借りてくることもあれば、かなりの部分を借りてくることもあった。これは、例えば、グリム兄弟の童話を考えてみればよく分かる。私のように細かいことを気にしない人なら、グリム童話は子どもを寝かしつけるときに聞かせるような、楽しくてかわいらしい物語だと思っているに違いない。でも実際は、グリム童話は残酷なお話なのである。そんな血なまぐさくてお説教臭い物語を子どもに聞かせるような親はなかなかいない。

 ディズニーはそんなグリムのお話をもってきて、その時代にマッチした形に改作し、アニメーション化した。彼は恐れや危険といった要素は完全には取り除かないでおきながらも、暗かったものを愉快な話に仕立て、以前は単に恐れしかなかったところに、哀れみの感情を入れた。しかも、これをやったのはグリム兄弟の童話に限ったことではない。実際、一度に並べてみると、他人の創作物を利用したディズニー作品が多いことには驚かされる:『白雪姫』(1937)、『ファンタジア』(1940)、『ピノキオ』(1940)、『ダンボ』(1941)、『バンビ』(1942)、『南部の唄』(1946)、『シンデレラ』(1950)、『不思議の国のアリス』(1951)、『ロビン・フッド』(1952)、『ピーターパン』(1953)、『わんわん物語』(1955)、『ムーラン』(1998)、『眠れる森の美女』(1959)、『101匹わんちゃん』(1961)、『王様の険』(1963)、『ジャングル・ブック』(1967)――ごく最近では、『トレジャー・プラネット』(2003)もそうである。どの作品でも、ディズニーは彼の身の周り文化から創作物を取り出し(リップし)、彼の素晴らしい才能とそれをミックスし、そしてそのミックスしたものを文化の中に焼き付けた(バーン)のである。リップ、ミックス、バーン。

 これは一種の創作性である。これは覚えておかなくてはならず、大切にしなくてはいけない創作活動の一方法である。こういう形の創作活動以外に創作活動なんてありえない、という人までいるが、そこまで極端にならないとしても、これは極めて重要な創作活動の形である。誤解を恐れずにいえば、それは「ディズニー的な創作活動」といえるだろう。あるいは、より正確には「ウォルト・ディズニー的な創作活動」である――私たちの周りにある文化からを元に何か違ったものを作り出していく表現・才能の形である。

 1928年にディズニーが利用することのできた文化は、比較的新鮮だった。当時のパブリック・ドメインはそれほど古いものではなかったので、まだそれなりに活き活きとしていた。というのも、著作権の存続期間は平均してちょうど30年くらいであった――それも例外的に著作権によって保護されていた創作物に関しての話である。このことが意味していたのは、平均して30年の間、著者や著作権者は特定の利用方法について「独占的な権利」を持っていたということである。特定の方法でこの著作物を利用するには、著作権者の許可を得る必要があった。

 しかし著作権の保護期間が過ぎると、その作品はパブリック・ドメインとなる。そうなると、その作品を利用して何かを作るにしても、そのまま使うにしても、許可を得る必要はなくなる。許可はいらないのだから、法律家が出てくる幕もない。パブリック・ドメインは「法律家フリーなゾーン」なのである。だから、1929年のディズニーは19世紀に作られたコンテンツを自由に使うことができた。ディズニーだけではなくて誰でも自由に使うことができたのである。

 実はごく最近まで、こうした仕組みのままだった。最近までずっと、パブリック・ドメインは水平線のちょっと向こうにある存在だった。1790年から1978年まで、著作権の存続期間は平均32年を超えたことがなかった。つまり、一世代半昔のものであれば、誰かの許可を得ることなく自由に使って新しいものを作ることができたのである。現在でいえば、1960年代から1970年代に作られた創作物を使って、今日のウォルト・ディズニーが許可なく何かを作り出していい、ということになる。でも、実際には、現在パブリック・ドメインであると考えてよいのは、はるか昔、大恐慌よりも前の作品である。





 もちろん、「ウォルト・ディズニー的創作活動」を実践していたのはウォルト・ディズニーに限った話ではなかった。アメリカに限った話ですらない。フリーな文化のしくみは、最近まで一部の全体主義国家をのぞいて、普遍的に見られ、広く活用されていた。

 例えば、多くのアメリカ人にとっては奇妙に写るが日本の文化の中ではよく見かける創作物:マンガ、の例がある。日本人は、マンガが大好きだ。出版物の40%がマンガであり、出版物からの収益のうち30%がマンガによるものである。マンガは、日本社会のありとあらゆるところで見られる。駅のどの売店でも売っているし、日本の並外れて充実した公共交通機関で通勤する人たちの多くは、マンガを持ち歩いている。

 アメリカ人はこうした文化を見下す傾向にある。これは私たちの文化のよくないところである。私たちはマンガについてよく誤解をしている。それは、これら「グラフィック・ノベル」と呼ぶべき作品ほどストーリー性に満ちたコミックを、私たちのほとんどはそもそも見たこともないからである。日本のマンガは、社会生活の全てを題材にしているのに対し、私たちのコミックのイメージは「タイツを来たヒーロー」である。それに、ニューヨークの地下鉄だって、みんなジョイスやヘミングウェーを読んでいるというわけではないだろう。異なった文化にいる人たちは異なった方法で気を紛らわすのであり、日本人の方法が私たちにとって興味深いというだけの話である。

 もっとも、ここでこの話をしたのは、マンガについての理解を深めるためではない。それは、法律家の目からすればかなりおかしなものであるが、しかしディズニー的な観点からすればなじみのある、マンガの一種を紹介するためである。

 それは同人誌と呼ばれている。同人誌もマンガの一種ではあるが、一種のまねっこコミックである。同人誌の創作には、かなり深いものがある。単なるコピーは同人誌ではない。同人誌作家は、コピーしている作品に対して、何かを付け加えないといけない。それはちょっとだけ変える場合もあれば、大きな変化の場合もある。こうして、同人誌は本流のマンガをもってきて、違った方向に発展させることができる――違ったストーリーで。あるいは、同じキャラクターをそれっぽく残しつつも少し変えてみることもできる。でも、真の同人誌と見なされるには、どこかが違っていなければならない。実際、展示会への出品の際には審査会を通し、単なるコピーにすぎないものは却下する、などということもある。

 同人誌はマンガ市場のほんの一部分を占めるものに過ぎない、というわけではない。実は巨大な市場である。日本中の3万3千以上の「サークル」がウォルト・ディズニー的創作物を作り出している。年に二度、45万人以上の日本人が集まり、この国で最も大きなイベントで同人誌を交換したり販売したりする。この市場は本流の商業マンガ市場と平行して存在している。ある意味では、両者は明らかに競争関係にあるのだが、しかし商業マンガ市場の側から同人誌市場を閉鎖させようという一貫した試みはない。同人誌市場は、競争にもかかわらず、法にもかかわらず、繁栄しているのである。

 この同人誌市場については――少なくとも法律の教育を受けてきたものにとっては――そもそも存在が許されているということ自体が一番不思議である。アメリカ法と(条文上は)ほとんど同じ制度となっている日本の著作権法の下では、同人誌市場は違法である。同人誌は、明らかに「二次的著作物」にあたる。にもかかわらず、同人誌作家たちの間にはマンガ作家の許可を得るという慣行がない。ではどうしているかというと、ウォルト・ディズニーがスチームボート・ビル、Jr.の時にしたように、勝手に他人の創作物を取ってきて、変えるのである。アメリカ法の下でも日本法の下でも、原著作権者の許可なく「取ってくる」ことは違法である。原著作権者の許可なく複製し、あるいは二次的著作物を発行することは原著作権者の著作権の侵害にあたる。

 それでもなお、この違法な市場は日本に現に存在している。それどこか、実に繁栄しており、多くの人たちの考えるところによれば、この市場が存在するからこそ、日本のマンガ市場は繁栄している。アメリカのグラフィック・ノベル作家ジュド・ウィニックはこんなことを言っていた。「アメリカのコミック界は当初、まさに今の日本みたいな状況だった・・・アメリカのコミックというものはお互いをまねしあうことによって生まれたんだ・・・そもそも、そうやって(アーティストたちは)絵を描くということを勉強していく――コミック本をトレースするのではなく、見てまねして描いてみる。」そして、その上に何かを創り出していくのである。

 しかし、ウィニックの説明によれば、現在のアメリカのコミックの状況はずいぶんと違っているのだという。その一因として、同人誌のように原作品にアレンジを加えることについての法的な問題がある。ウィニックはスーパーマンを例に出して説明してくれた。「こうこう、という決まりがあってそれを守らなくてはいけない。」スーパーマンにも「出来ないこと」が沢山あるというのである。ウィニックはいう。「クリエイターとしては、50年前に出来たようなガイドラインに従わないといけないなんていうのは、本当にストレスがたまるよ。」

 日本の状況では、この法的な問題は緩和されている。これは、それは日本のマンガ市場にもたらされる利益が理由だという人たちがいる。例えば、テンプル大学で法律学の教授をしているサリル・メーラは、同人誌のように厳密にいえば違法なものも、マンガ市場をより豊かで生産的なものとしてくれるがゆえに受け容れられているのだという仮説を提示する。同人誌を禁止したところで誰の得にもならないから、法は同人誌を禁止しないのだ、という説である。

 ただ、メーラも認めるように、この説明には欠点がある。このレッセ・フェールを生み出している仕組みがよく分からないという点である。確かに、同人誌を禁止せずに許しておいた方が、市場全体としてはいいのかもしれない。でもこのことは、それにも関わらず訴えを起す個々の著作権者がいないことを説明できない。法は同人誌を例外としていないし、実際にマンガ家が同人誌作家を訴えた例もある。だとすれば、どうしてこの「フリーな利用」を止めようとする、より一般的な風潮がないのだろうか。

 私は四カ月間、日本に滞在する機会があったので、この疑問を出来るだけ多く質問してみた。最終的には、一番いい説明は日本の大手弁護士事務所にいる友人からもたらされた。「弁護士の数が足りてないんです。そういうケースを立件するだけのリソースがないんですよ。」

 この問題、つまり法の規制は法の文言だけの問題なのではなく、その文言に実効性を与えるためのコストとも関係するという点については、後でまた扱う。ここでは、次の問題が重要である:弁護士が増えたら、日本はよくなるのだろうか?同人誌作家が頻繁に捕まるようになったら、マンガはより豊かなものになるのだろうか?この共有の慣行を終わられることができたら、何か重要なものを得ることができるのだろうか?ここでは海賊行為は海賊行為の被害者にとって、痛手なのだろうか、それとも手助けなのだろうか?この海賊行為と弁護士が戦うとしたら、それは依頼者を助けることなのだろうか、それとも損害を与えることなのだろうか?





 ここでいったん立ち止まってみよう。
 もしあなたが十年前の私のようだったら――つまり、こうした問題についてはじめて考えてみた人の大多数のようだったら――今まで考えたこともないこうした事柄について、どう考えたらいいのか、ちょうど、とまどいはじめている頃だろうから。

 私たちは「所有権」を大切にする世界に住んでいる。私自身も所有権は大切にすべきだと思っている人の一人である。私も、所有権一般の価値についても、弁護士たちが「知的財産権」と呼んでいるちょっと変わった種類の所有権の価値についても認めている。広くて多様性に満ちた社会は所有権なしにはやっていけないし、広くて多様性に満ちた現代社会は知的財産権なしには繁栄していけない。

 それでも、ちょっと考えてみれば、「所有権」によってとらえることのできない価値もたくさん存在していることが分かる。それは別に「愛はお金では買えない」という話ではなくて、商業的な生産にしろ、非商業的な生産にしろ、その生産の過程にある価値の話である。もしディズニーのアニメ製作者たちがスチームボート・ウィリーを描くために鉛筆を泥棒したのだったら、それは間違ったこととされるに決まっている――それが些細なことであるとしても、そのことに誰も気づかなかったとしても。でも、ディズニーがバスター・キートンやグリム兄弟から取ってきたことには、少なくとも当時の法の下では、何ら問題はない。何ら問題がないのは、ディズニーが取ってきて使ったことは「フェア」であると判断されるからだ。グリム兄弟から取ってくることに何ら問題がないのは、グリム兄弟の作品はパブリック・ドメインだったからだ。

 つまり、ディズニーが取ってきたもの――あるいは、より一般的、ディズニー的創造性を発揮している誰かが取ってきたもの――には価値があるにしても、それを間違ったこととはしないのが私たちの伝統だったのだ。フリーな文化の中では、一定のものはフリーに取っていいのであり、その自由があることはいいことなのである。

 同じことは同人誌文化についてもいえる。もし、同人誌作家が出版社に忍び込み、対価を払わずに最新の作品を何千枚も――あるいは、たった一枚でもいい――奪って逃げたら、その同人誌作家のしていることは間違っていることとされるに決まっている。不法侵入をしているし、価値のあるものを奪っている。奪い方がどんな方法であれ、奪ったのがどんな些細なものであれ、法は盗みを禁じている。

 にもかかわらず、こうしたまねっこコミック作家たちが「泥棒をしている」とみなすことについては、日本の法律家たちの間にも、明らかに躊躇が見られる。この形のウォルト・ディズニー的創作活動はフェアで正しいものであるとみなされているのである――それが何故かについては、法律家たちにもよく分からないにしても。

 実はこうした例は、探しさえすれば、何千もある。科学者は許可を得たり、お金を払ったりすることなく他の科学者の成果の上に研究を進める。(「アインスタイン教授、すみませんが、あなたは量子力学について間違っていたというこということを証明したいので、あなたの相対性理論を使ってもよろしいですか?」だなんて、誰も言わない。)たくさんの劇団が誰からも許可を得ることなく、シェイクスピア作品を元にした作品を上演している。(許可を出すシェイクスピア著作権センターのようなものがあった方がシェイクスピアは広まると思う人は、いるだろうか?)ハリウッドにも、同じ特定のテーマの映画の流行がある:1990年代には隕石を題材にした映画が五つもあったし、1997年には火山の噴火が惨事をもたらすという映画が二つもあった。

 いつでもどこでも、クリエイターたちはそれ以前の作品、そして現在身の周りにある創作物の上に作品を作り上げている。そして、いつでもどこでも、その少なくとも一部は、許可を得ることなく、元のクリエイターに対価を払うこともなく、なされている。どのような社会でも――自由な社会であれ、管理された社会であれ――ウォルト・ディズニー的創作活動を行うためには必ず対価を払わなくてはならないとか、許可を得なくてはならないとされたことは一度もない。どんな社会も一定程度は、フリーな文化として自由に取ってもいいように残しておいたのである――自由な社会ほど多くのものを残しておいたということはあるかもしれないが、どんな社会も一定限度はそうしていた。

 したがって、問題は、文化はフリーであるのかどうか、ということではない。どんな文化も、そもそも一定程度はフリーなのである。問題は、「この文化はどのくらいフリーなのか?」ということなのだ。どのくらい、そしてどの程度広い範囲の人たちに、他の人がフリーに取って使うことは許されるのだろうか?という問題なのだ。党員にだけ許される?王室の人でなければだめ?あるいは、ニューヨーク証券取引上のトップ10企業にだけ?あるいは、そうではなくて、一般的に認められるのだろうか。メットと関係あるかないかに限らず芸術家一般に?白人であるか黒人であるかにかかわらず、ミュージシャン一般に?映画会社に属しているかどうかにかかわらず、映画製作者一般的に?

 フリーな文化とは、他の人たちがその上に何かを作れるように、多くのものをオープンにして残しておく文化である。フリーではない文化や許可制の文化は、あまり多くを残しておいてはくれない。私たちの文化はフリーな文化だった。でも、どんどん、そうではなくなってきている。



 
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